「この子はもう十分に素晴らしいものを持っている」そう思えたのは、受験の1週間ほど前でした。健康であること、仲間に恵まれること、それが息子の取柄だと確信できたことが、受験をした一番の収穫でした。今後生きていくなかで、これ以上ない才能です。息子の素晴らしいところがわかっただけで、この受験は大成功だと万感の思いで溢れました。この時点では、受験日を迎えていないし、合格の保証もない状況なのでおかしな話ですが、とても満足な思いでした。
クラスは、勉強を超えた仲間意識や一体感があり、毎日が楽しくて仕方がない通塾生活でした。受験のイメージというと、苦痛、犠牲、ストレスなどを思い浮かべていましたが、このようなネガティブな感情が一切ありませんでした。このクラスメイトにとってFCの勉強はどんなに難しくても遊びだったのでしょう。思えば、年中のときに花まる学習会に入ってからというもの、その頃から息子にとって勉強は遊びなんだと思います。
私は、子どもたち全員が力を持っていると信じています。子どもたちのなかに存在する力を引き出すのが大人の役目だと考えています。そして私の胸のなかで「子どもはいつ伸びるかわからない。このタイミングで伸びればいいけど、この数年後になるかもしれない。だからもし中学受験が希望どおりいかなかったとしても、中学受験なんかで人生は決まらない。これからが伸び盛り」という気持ちを貫こうと決めていました。
さて、我が家では学校選びに時間がかかりました。今年はコロナ禍で学校見学が難しい状況でしたので、オンライン説明会やオンライン文化祭で学校を調べました。あまり収穫がない状態が続きましたが、夫婦の間でブレないように志望校選びの心得を設けました。
一番大切にしたのは「安心して転ばせられる学校」を選ぶということを軸としたことです。そのために、以下を徹底しました。
・偏差値競争はしない
・出口は重要視しない
・親と子は違う人格である、親の見栄の道具に使わない
こうした経緯を踏まえ、11月も終わりに差し掛かる頃に桐朋中学に辿り着きました。オンライン上からも画面越しに放たれる生徒のエネルギー、人を認める深い懐を持った校風、広くてアカデミックな設備、本気で遊び輝く姿。どれもまぶしく感じました。息子も好感触。主人の執念でどうにか学校見学に当選しました。
学校見学は30分に満たない時間でしたが、息子のオタク心を満たし入学してからのイメージを膨らませるには十分だったようです。私は、生徒みんなが本気でオタクの道を極めているバイタリティに感動しました。ここなら「安心して転ばせられる、メシの食えるオタクになれる」と期待することができました。こうして冬休みに入る直前に志望校が確定しました。
しかし、確定する間にも私は偏差値競争の土俵に再び乗りたくなってしまったり、出口を気にしてしまったり……ハッと我に返れたのは夫婦で決めたガイドラインがあったからです。加えて息子の気持ちが桐朋に一直線だったからです。ガイドラインを設けて大切にしていたのに、気をつけないとすぐに魔物に飲み込まれてしまいます。それほど、偏差値の魔力は強いのだなと感じました。
我が家の場合は、偏差値という枠を取っ払ったからこそ桐朋に巡り合えたと感じています。受験という経験を通して、偏差値は数社が均一的に導き出した目安にすぎないということを実感しました。それぞれの学校の価値が数字で決まるわけではありません。だからこそ、親が率先して振り回されてはいけないなと貴重な経験ができました。数字でなく、実際に学校を見てみる、見て感じた子どもの嗅覚を信じてみる、学校からのメッセージ(過去問)と対話してみることが大切なのだなと。特に国語の過去問は、学校が大切にしていることを感じることができると思いました。
でも、桐朋に確定した決め手は、親の後押しではありませんでした。ある日、クラスメイトが息子に言ったそうです。「自分がどこに通っているイメージが一番しっくりくるか。そうしたら○○だった」と。それを聞いた息子も想像したそうです。「僕もイメージしたら桐朋に通っているのが一番しっくりきた。」息子が自分で出した答えです。志望校が確定した安心よりも、息子が自分で決めたことが、私は嬉しかったのかもしれません。一緒に受験期をがんばった仲間たちが息子を成長させてくれました。
花まる・FCにお世話になった8年間で、勉強は楽しいということを教えてもらいました。花まるの先生方、FCの先生方、関わってくださった先生方に感謝の気持ちでいっぱいです。花まるが好きすぎて卒業が寂しすぎます。お世話になりました。